プロフィール続き 占い師になってからも山と谷の道

占い師になるまで・・太陽冥王星スクエア持ちの中年期の危機は、危ない橋を渡る

鎌倉のお店が閉店した後、東京へ引っ越しました。漠然とまだまだ何かやれると思っていたからです。自分の力を試してみたかった。お見合いも断ってしまったし・・・汗
今思うとものすごい楽天思考で行ったよなぁと思います。しかしここで止まっていてはまずい!という気持ちのほうが強かったのです。

東京へ来てからは版画作品を作りながら、派遣社員で働いていました。一つの会社ですべて捧げて仕事するというスタイルが嫌になっていたのですね。しかし短期の派遣ですから、経済的には安定しない日々でした。お金の工面も毎月大変で、普通の派遣以外に、日雇い派遣でデータうちとか、コールセンターとか、社会保険事務所とか、売り子さんとか、封入作業とか、いろいろしていましたよね。

ちょうど中年期の危機といわれるネイタル冥王星トランジット冥王星スクエアの時期だったので、まぁこれぐらいは必要だろうと思っていたけどさすがにきつい日々でした。

いろいろな会社を見て、歯車で働く虚しさを知った時でもありました。鎌倉の時は「個人」が尊重される仕事場だったのです。自分の個性を使わず組織の中で歯車になることがとても辛いことだなと感じました。このままだと給料をもらうだけでは何も残らない・・・と思ったのです。この期間お前は人生で何を選ぶんだ?と天から問われていたと思います。

そんな絶望の中でも、作品は作っていました。2008年2月に西荻窪でタロットのアクリル絵の個展をやったのですね。しかしこの時にはもう生活していく気持ちは限界で、個展終わったら実家に帰ろうかな・・って思っていたのです。しかし、この個展に高校時代の友人が来てくれたのですが、彼女の働いている会社でバイトしないかと声をかけてもらい、すんなりバイト決まってしまいました。彼女に権限があったのでノー面接ノー履歴書で・・・彼女の働いている場所は企業研修会社で、向上心の溢れる天国のような環境でした。(そこでコーチングやってる人がいて、私がタロットやってるっていったらコーチングも学ぶことを進められたんですよ。)

そのバイトが決まった翌月には、松村潔先生が占い館を作る話があって占い師を募集するオーディションがあったのです。タロット占いで応募したらそれに受かったので、そこで占いの仕事にすることになったという展開になりました。それが2008年5月。

タロットの絵を22枚個展で描いたからなのかわからないけど・・この絶妙な流れはすごかった。私にとっては「何かを作り上げること」は大きく人生を変えていくなと思っています。

そして占い師活動をオープンにしていったわけです。最初はこのカミングアウトは勇気がいりましたね。しかし意外と周りのウケは良くてね・・・・占い師はあやしいって思われがちだけど、私の知ってる占い師さんは、みんな勉強熱心で真面目な人ばかりでしたから、これから占い師っていう仕事が認められるといいなぁって思っていました。

震災があって1からやり直し

コーチング試験うかったのに震災になってしまった

さてその後、占い師になって3年目に震災がありました。ちょうどコーチングのプロ資格合格して、2ヶ月後に震災でした・・・・あれだけ頑張って勉強して合格したコーチングへの火が消えてしまいました。

この時期「人はどうせ死ぬんだ」みたいな気持ちに強くなってしまって・・・ちょっと鬱になっていたと思う。体調も崩してしまいました。体から立て直しが始まりました。

この体調の乱れは心のこともあるかもしれないと、アーユルヴェーダのセッションとかアロマのセッションとか受けてみたりしていました。

また感情の手放しでセドナメソッドなどを習いにいったり独学などもしていましたね。また体のために気功と太極拳を習い始めました。

さらにはヒプノセラピーの基本を学びにいきました。ヒプノではすっかり忘れていた母親に対しての怒りの思い出を思い出しました。幼い私の心は、母に対してまだ怒っていたことに気づき本当に驚きました。人間は都合わるいことを忘却する・・・というのを目の当たりにしてショックを受けましたね・・・

家族の占星術で過去の呪縛を解く

また私は海外の占星術雑誌から「家族占星術」というのがあることを知ることになります。家族という組織を、占星術と心理セラピーで向き合っている研究者が海外にはたくさんいるのです。

それらの本によると一族のテーマを見るには、両親や兄弟だけでなく、祖父母や伯父伯母など誕生日を調べて一族の共通のテーマを探るとありました。

私はホロスコープというツールを使って、私の一族のストーリーを考えてみようと思ったのです。それは私の中でのタブーとなっていた伯母の自殺を考えることでもありました。

叔母は当時の「教育ノイローゼ」だったという話でした。まだ鬱という病名もない時代です。私はとてもカンの良い子供だったので、叔母は自分の娘と私との差を気にしているんだな・・って思ってました。叔母にはおもちゃでもなんでも「真似」されていたと思う。子供心にいやな気分だった。

しかし彼女の心が壊れた原因は私が原因だったのではないかと勝手に思い込んでいました。

叔母は病院から年末一時退院してきた日がありました。私はいとこの家に行っていたので、会っていたのです。でもその時の私の子供の考えでは「叔母が心が壊れて違う人になっているから攻撃されるかも「怖い!」」という気持ちしかなくて、顔も合わさず帰ったんじゃないかな・・(正直あまり覚えていない・・・・・)

彼女の死は今にして思えば、叔母の家の家族構成(怖い姑の存在や、理解のない旦那、また実家に帰ったら恥という時代背景)も大きく影響をしていたとは思うけど、子供の私はそこまでの広い視点では考えられなかった。なので死んだ彼女が、化けてでてくるのではないかと、死後数年は本気で怖かったのです。しかもそのお墓は実家のそばにあったりするのです。

その死はその後年月が流れて、家族のタブー話になり誰も掘り返すことはなくなりました。私はそのことがずっと気になっていたので実家を出る30歳ごろ母にその死の原因を聞いてみたのですね。そしたら「死因は不明」って言ってたのですよ・・・自殺と断定されてはいなかったのですね。

大きな農家でお嫁さんがそんな形で亡くなると周りの目もあるから・・みたいな感じでうやむやになったのではないかと母が言ってました。かなり驚きましたね。

そんな因縁あるこの家系のホロスコープを読もうと決めて古い戸籍を取りにいきました。戸籍に記載された伯母の生まれた日や亡くなった日付をみるだけでも、激しい「恐怖」を感じました。この年齢になってでさえ、その罪悪と恐怖の感覚が残っていたようです。

しかし淡々と、叔母のチャートを読み、亡くなった日のチャートを調べてみたり、周囲の人間たちにはどういうインパクトだったのかということも調べてみてました。今までの記憶の断片にしかないその一人の人間のすべてがホロスコープに現れます。叔母が実は「こんな人だったのだ」ということを知りました。意外な一面がホロスコープにでていた。

そして私は叔母の死をホロスコープというツールを使って、ようやく・・・ようやく客観的に自分と切り離して思えるようになったのだと思います。

そして親戚のホロスコープをながめていると、叔母の話とは別に私の祖母からはじまる一族のストーリーは、既に祖母の死によって終わったのだと感じました。

家を追い出された娘が、もう1度家を取り戻そうとするが、取り戻せないっていう祖母のストーリーがあるのですが、私を含む登場人物は、その舞台に用意された舞台の俳優たちなのかもしれないなと感じたのです。私の母も跡取りに入ったのに、やらなくてよくなり、その娘である私も家を存続させる役割を持たされていない。

もうその舞台は終演されていることに気づかなくてはいけないとも思いました。

この一連の作業は、私の潜在意識に家族のお話しの終わりを強く告げるシンボル的な行為となったようでした。

なぜなら翌年、甥が生まれ私が「伯母」となったから。

私は新しい命がこれから経験する環境の一要因となり、新しい一族のストーリーが始まったのです。

そして2020年現在

ここまで読んでいただきありがとうございました。仕事の裏側で、こんなことをしながら、12年経ちました。

甥っ子も3歳になり、家族のストーリーは新たな局面を迎えていくと感じてます。さらに2020年、誰も予想しなかった形で社会が大きく変わる時を迎えましたが、新しい時代と共に自分も変容させねばなりませんね。

と思っていたら2020年は、ひょんなことから本格的な分析家から夢分析を受けることになり、とても刺激的な時間を過ごしています。私は高校時代から「ユング研究所で心理分析受けたい」っていう願いがあったのですが、それが30年ぐらいかかって、かなってしまいました。

この経験もいかして今後活動できたら良いなと思っています。

内面の心を整えること、体を整えること、これがこれからもっともっと大事になってくると思っています。そのための面白くてためになるものをもっともっと生み出していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。


よしだ
よしだ

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