ユング派の夢分析 無意識について 勉強ノート 1

無意識ってなんだろう

「無意識」は普段の自分が気づかない心の部分です。よく氷山の絵で例えられます。氷山の海面にでているのが顕在意識(私だとわかる意識)です。一方で海の中には大きさがどれぐらいあるかわからないぐらい大きな氷が眠っている。ここから考えると無意識のほうが圧倒的な量があってそちらが本当は力があるのですね。

時々無意識が強くなると無意識がうっかり出てしまいます。例えば、あの人嫌いだと思っている人がいるとします。それがバレないようにしていても、無意識では嫌いなもんだからその人と喧嘩になるようなことを知らず知らずやってしまったりすることもありますよね。

まるで自分の心の中にいたずらものの小人でも住んでいるかのように、思いがけない時に思いがけないことをやらされてしまうのである。

無意識の構造 河合隼雄 中公新書 

嫌いだな嫌いだなって思ってる人の前で、良い顔しようと思っていても、自分がその人のことを嫌ってる情報が流れてしまったり・・とか。こんな状況は無意識側が強くなった状況ですね。

無意識に過去の記憶が保管されてる

また「自分はこうしたい!でもどうしてもできない!」ということは人生によくあることですが、「できない」ところに、無意識の自分が本当に思っていることが隠されていたりするのですね。これは私の大好きな漫画ブラックジャックの一作品です。

https://www.akitashoten.co.jp/special/blackjack40/192

ブラックジャックの指が、ある日突然動かなくなる・・・・というお話。彼は手術の天才ですから指が動かないと手術ができなくなる。これは彼にとって死活問題です。

この原因をさぐっていくと、20年前自分が受けた手術中の出来事によって引き起こされたというお話です。「指を動かしたい!でも動かない!」この「動かない」という原因はすっかり忘れていた無意識にしまってあったのです。いや〜すごい話ですよね。

無意識があなたの人生を動かしているのです。あなたの本音が詰まっている無意識。この力が現実を創造しています。

無意識は二つに分類される

夢をもたらす無意識を、ユングは個人的無意識と普遍的無意識にわけました。

ユングは無意識を層にわけて考え、個人的無意識(personal unconscious)と普遍的無意識(collective unconscious)とに区別する。

ユング心理学入門 河合隼雄 培風館 

個人的無意識

先程のブラックジャックのように、個人的な経験などから、忘れてしまったけど心の奥に存在しているものです。これは過去の様々な経験や記憶、それによる感情が含まれます。

自分も教育夢分析を受けていますが、過去の友人や過去の出来事なんかはやっぱりたくさん出てくるのですよね。

普遍的無意識

普遍的というのは人類共通ってことで、神話や昔話、文化や伝統です。ユングは精神を患った人の妄想内容が、神話や伝説、宗教などと類似を感じた体験からここに至ったそうです。無意識にはそのような広大な領域がある。これに注目したのがユングです。

時間と空間を超え、人類が共通して持っている古い記憶です。神話、宗教儀礼、錬金術、昔話、お伽噺、妖怪や妖精、古いお祭り、古い部族のしきたり、魔女や悪魔・・・そのようなものをみんな共通で無意識に持っているのですね。

私が自分の夢で、普遍的無意識からきたシンボルだ思ったのは「血」ですかね・・・・。血は様々な象徴が考えられていますよね。血は人間の生きている証。血気盛んという言葉があるぐらい。生命の源を求めてドラキュラは夜な夜な彷徨います。

でも逆に傷から出ている場合は「死」を思いこさせます。日本映画の「椿三十郎」では、血がビューーーっと出てたシーンが有名ですよね。痛みを思い起こさせますよね。キリスト教ではキリストの血はワインとして考えられています。イエスの死をワイン(血)を通して意識させるのですね。犠牲の意味も出てくるでしょう。

普遍的無意識に繋がった芸術作品

そのような深い意識レベルまで行ってしまった芸術作品もあると思います。私が見た中ではこの人の作品一押し!20代ではじめてロンドンのテートギャラリーで見た絵で、なんとも言えない衝撃を受けました。

「お伽の樵の入神の一撃」というタイトルです。御伽噺にでてくるような精霊の世界を描いています。妖精たちがところ狭しと描かれています。テートギャラリーの壁にはたくさんの絵が並んでいたのですが、吸い寄せられるように目がいきました。全然知らない画家でしたけど、本当に感動したのです。この画家は妖精さんの世界に本当に行ってきたんだなって思ったのです。

当時はネットがないからどんな画家が調べられなくて、絵葉書を買ってくるのが精一杯。それで名前はかろうじて知っていてネットが普及した時代に画家を調べてみました。今はwikiに絵も掲載されています。画家の名前はリチャード・ダッド。

1842年7月、弁護士であるサー・トーマス・フィリップの旅行の同伴画家となり、ヨーロッパや中東を回る。この旅行中の同年12月頃に精神に異常をきたしはじめる。当初は日射病によるものと思われていたが、「自分はエジプトの神、オシリスの使者であり、同行者には悪いものが憑りついているので殺さねばならない」などの妄想が激しくなり狂暴になっていった。

翌年の1843年の春、家族の勧めでケント州郊外コブハムにて療養する。同年8月に父親のロバートと公園を散歩中に「中にいる悪魔を殺すために」ナイフでロバートを殺害[1]。フランスに逃亡しパリで観光客を殺害しようとしたところで逮捕される。正常な状態ではないと判断されたためフランスの精神病院に10ヶ月ほど収容された後、イギリスに戻されたダッドは、王立ベスレム病院(ベドラム)に収容された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/リチャード・ダッド

この絵はリチャード・ダッドがお父さんを殺害した後、精神病院で描いてた絵だったのです。これを知った時、ああやっぱりあの衝撃は私の深いところが打たれたんだなと思いました。精霊や妖精も普遍的無意識に存在するものです。人類にとって共通の心の層から出た絵だからこそ、私の心の奥底も反応したのだと思います。

この2種の創作を区別するために、一方を心理的と呼び、他方を幻視的と呼ぶことにする。p61

・・・幻視的な作品は・・・既知のものではなく・・あたかも人類以前の太古の深みから、あるいは人間の力と理解力ではとても把えられず、圧倒されてしまうような原体験なのである。・・永遠のカオスの恐怖を駆り立てるような撹乱であり、ニーチェとともに言えば、「人間の尊厳を冒す罪」である。p64

創造する無意識 C,G,ユング 平凡社


チリャード・ダッドの絵はそのような圧倒的な体験をしてきた絵だと感じています。普遍的無意識は奥深いところにあって普段の生活ではあまり出てくることはありません。しかしそれが出過ぎるとリチャード・ダットのように現実生活が営めなくなってしまう。だから私たちには普段は「自我」で現実を生きていくように仕向けられています。

自我と無意識が二つ相補的に動く

自我の働きは河合先生の本から抜粋します。

自我はいろいろなはたらきをしている。まず外界の知覚・・内界の認知・・・自ら意思決定をなすことができる。・・・自我はそこで自分の統合性を保持するために自分自身を防衛する機能ももたねばならない。

無意識の構造 河合隼雄 中公新書

お腹が空いたらご飯を食べるとか、車がきたら避けるとか・・・とういう肉体を安全に動かそうとする力でもあると思います。

自分の人生を動かしているのは、無意識でもありますが、でもその無意識だけになったら無意識の圧倒的な情報に押し流されて現実を生きていけませんね。ユングは意識と無意識は「補償的」でお互い補い合って一つの全体をつくると言っています。(自我と無意識より)ユングは東洋思想も研究されているので、私はここでこの図形、太極図を思い出します。

陰陽の関係は途切れることはありません。陽極めれば陰となり、陰極めれば陽となるという言葉があるように、このエネルギーは極まると逆の位相に向かいます。

季節によって陰陽バランスは変わりますね。冬至や夏至はその極まりの極で季節の転換点です。1日の中でも陰陽バランスは変わります。起きて活動する時間、眠って夢を見る時間もそうですね。この陰陽は意識、無意識でもあるでしょう。このようなバランスの両輪で人生が彩られていきます。陽ばかりの人生は見えるものだけにフォーカスあてている人生でしょう。陰ばかりだとリチャード・ダッドのように現実生活を生きれなくなります。

この二つのバランスが大事なのですね。

しかし自分の体験だと、夢と向き合えば向き合うほと現実に、不思議な共時性(シンクロニシティ)が起こってくるのです。

見える世界と見えない世界は結局繋がってるんだなーということが当たり前となってくるんですよね。


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