アクティブ・イマジネーション 想像は想像を超える ユング心理学 勉強ノート4

アクティブイマジネーションとは

夢告堂の今井先生に夢分析を受けて、アクティブイマジネーションを教えていただきました。

アクティブイマジネーションとは?(能動的想像法)

アクティブ・イマジネーションとは、スイスの深層心理学者、カール・グスタフ・ユング(1875〜1961)は発展させた精神分析と心理療法のためのテクニックである。この方法では私たちが日頃何気なく行っている想像という行為が持つ可能性を徹底的に追求する。

老松克博 無意識と出会う ユング派のイメージ療法—アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1 p1

今までもタロットパスワークなどのイメージワークをやってきたわけですが、

この本を読んで「意識的に」向こうのイメージと関わることが大事なのだなと理解できました。

無意識のやりとりを「折衝」とみなすということがある。

老松克博 無意識と出会う ユング派のイメージ療法—アクティヴ・イマジネーションの理論と実践1 p2

この「折衝」という言葉に衝撃を受けました。

今まではなんとなくで流されてしまうようなところがあったので、こちらももっと意図をだしていくということが重要だということがわかりました。そのあたりは今までのイメージワークはちょっと弱かったかなーと思うのです。

そしてアクティブに意識を保つことはけっこう難しいということもわかってきます。ぼーっとしちゃうのですよね。

そんな時は、老松先生の本によるとイメージの中で「何かを凝視する」が大事なコツのようです。私もそれを読んで向こうのイメージを動かす時に、動きがおきないなぁーと思ったら1番イメージしやすいものを一つ決めて、そこをじーっと見つめることを意識しはじめました。顔全体というよりどこか一つ。心的エネルギーを入れ込むことで何か変化が起こる。そのシンボルにまつわる気づきが起こる。

その意図がイマイチだったりすると、イメージの中で動きがないのでやり直しします。その意図が受け入れられると、ふとしたイメージが降りてきます。アクティブイマジネーションが深いものになってくると、夢と連動することがあります。

アクティブイマジネーションと夢分析の違い

夢は自分も無意識になってしまっているので、そもそもがアクティブではありませんね。

でも目が覚めている時だったら、無意識に流されずに「意図」を持ち続けられます。

アクティブイマジネーション:無意識とボールをちゃんと打ち合ってる
夢:無意識からのボールを当てられるだけ

アクティブイマジネーションは目覚めた意識で行っているので、分析しないのが普通だそうです。

私も1日10分程度ですが、1年以上続けていて、時々まとめて夢分析に出しています。最初は夢と関係なかったけど、最近では夢を補足するような内容になってきています。驚くことに時々、夢にアクティブイマジネーションのイメージそのものが出ることもあります。

アクティブイマジネーションをやりたくないなーーー・・っていう時がありました。とあるテーマがあったのですが、これが自我の抵抗というのでしょうか。そこに入っていきたくない・・という感覚がありだらだらとやっていた時があったのです。しかしなんと夢にイマジネーション中のあるアイテムが出てきたということがありました。

これはイマジネーションちゃんとやれよっていう無意識のメッセージと思い、集中して取り組んでみたのです。その物語は自分の先祖の話の話になっていき、最終的には曽祖父と祖母の関係を思い起こさせる話にまで及びました。その中で無意識との手に汗握る対決がありました。緊張感があり今までのアクティブイマジネーションとはまったく違っていた。

その状況は、私はどうにもできなくて、ただただイメージ内でどこかを見つめて動きを待つという形ではありました。私は対決せなばならない!というわけで物語の山場を越えたのです。

無意識のエネルギーは時として大きく出てくることがあり、そういう時こそ「逃げない」ことを学びました。今までのイメージワークなんだったんだろう?と思うぐらいの無意識からの圧力を感じました。

それによって私はどう変化があったかのかというと、元型的な父権的なものへの怒りが昇華されたのではないかと思っています。無意識レベルで、父権的なものに押さえつけられていて遠慮して言えないとか行動できないということがあったのかなと。しかし最近はいったい頭がどうなったしまったのか、仕事でのアイデアが爆盛りになってきているような(気のせい?)

さらにその後アクティブイマジネーションで、物語の終わりがすっきりせず次の場面になかなかいかない状況になったのです。そしたら今度は夢で、アクティブイマジネーションらしき物語がでてきて、夢の中でイマジネーションの最後の物語の決着をつけたという流れがありました。平たく言えば「夢の中でお化けを葬り去った」みたいなことを夢の中でやったのであります。

こんなことってあるの?と思ったのですがこの本のよれば・・・・

夢はアクティブイマジネーションの世界における自我の偏りにターゲットを絞って補償しはじめるのである。

c・g・ユング著  老松克博 訳 ゾシモスのビジョン  古代ギリシアの錬金術師による夢見の指南書 

これ超〜〜〜面白くないですか!夢とアクティブイマジネーションは両輪の輪なのですね!夢では無意識に任せる。アクティブイマジネーションでは自我をしっかり持ち対話をする。この二つのサイクルがあるのだなと思います。

アクティブイマジネーションと赤の書

もともとアクティブイマジネーションは、ユングがフロイトと別れてから、精神的に不安定になった時に、生み出された方法のようです。

私的な面ではフロイトと袂を分かって混乱しており、環境的な面でも第1次世界大戦勃発の無意識的予感に苛まれていたのである。夢の自己分析で対処するのは難しかった。あるとき思い出したのが、かつて研究した霊媒の技法である・・・自我(意識)と無意識のコミュニケーションの直接性こそがaiの最大の特徴である。

コロナ危機とユング心理学 ユング心理学会 
老松克博  アクティブ・イマジネーションに関する基礎文献 p181

註:aiはアクティブイマジネーションのことです。

ユングはフロイトと別れた後、精神的に苦しんだのは有名な話ですね。この不安定な時期に無意識と対話して自分の心を立て直しました。ユングのアクティブイマジネーションは「赤の書」という形で2010年に出版されました。こんな時間が経って出版されたのはその時代、まだこのようなことが時代的に受け入れにくかったからだと言われます。



ユングは昼間は普通に仕事して、夜はこんなことをし続けていたのか!と驚きました。神と対話していた昔の苦悩の宗教者のようです。

自分自身を生きるということは自分自身が課題になるということである。・・・・・・それは決して喜びにならず長い苦しみとなるであろう。なぜならあなたは自分自身の創造主にならなくてはならないからである。自分自身を創造したいならば最上にして最高のものからではなく、最悪にして最低のものから始めることになる。

赤の書 p223

キリスト教では絶対的な神がいて、そこから人間は作られたということになっています。でもユング派の目的である「個性化」はその神からも離れて自分を創造し続けなければならない。キリスト教を信じてる人にとっては神への冒涜のようなことですからそれを言い切るにも勇気がいりますよね。この本は神を裏切ったユングの地獄巡りだったのだのかなと思います。

夢分析もアクティブイマジネーションも続けていくと、地獄のようなところに降りたって、今まで闇に葬り無視していたものと対峙する時がやってきます。

ユング派の夢分析では汚いものや最悪なものを重要視しますが、その思想もこの引用あたりのベースなのだろうかと思います。最悪なもののなかに最高のものが含まれている。元型の奥底には矛盾したものが横たわっている。考えさせられるフレーズが散りばめられているのが赤の書です。

図版版も素晴らしい。修道院図書館の中世の写本みたいです。ユングが修道僧みたいですよね〜ユングその人の生々しい息遣いを感じられます。


「人格系と発達系〈対話〉の深層心理学 講談社選書メチエ 老松克博」

この本によればアクティブイマジネーションは、出口王仁三郎の「霊界物語」なども挙げられています。そうなると私のイメージでは、シュタイナーの「アカシャ年代記」、グルジェフの「ベルゼバブの孫への話」などもアクティブイマジネーションの一種になりそうだなぁ・・・・と感じてしまいました。どれも無意識との対話の膨大さがすごいですよね。一緒にするなという声も聞こえそうですが・・

ユングは、社会的に受け入れられにくいジャンルのものをいかに上手にこの世に受け入れる形で落とそうとしていた。尋常でない努力の痕跡が感じられます。

参考までに
グルジェフ1866年生まれ 
シュタイナー1861年生まれ
出口王仁三郎 1871年生まれ
ユング 1875年生まれ


誰でも無意識に埋もれてしまった物語がある。それを積極的に紐解くのがアクティブイマジネーションだなぁと思います。

夢と併用して続けると自分の神話が蘇る本当にやりがいがあるワークだと思います。



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キャッチ画像は Frohes neues JahrによるPixabayからの画像

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