ロンドンで、吸い寄せられた絵があった
20代の初めて行ったイギリスロンドンで、美術学生だった私はテート・ギャラリーに行っていました。それまで画集だけでみていた画家の作品が間近で見れて興奮しておりました。
テートギャラリーの壁にはたくさんの絵が並んでいたのですが、吸い寄せられるように目がいきました。全然知らない画家でしたけど、本当に感動したのです。
妖精たちが、ところ狭しと描かれた絵。お伽噺の世界から切り取ってきたような、精霊たちの濃密な気配。全然知らない画家の作品でしたが、「この人は本当にこの世界に行ってきたんだ」と直感的に感じました。理屈ではなく、胸の深いところが、ざわっと動いた感覚。細密画なのでじっくり焦点あわせようと思ってもどこかはぐらかされるような、不思議な世界。何分もそこに立ち尽くした記憶があります。
当時はインターネットがない時代。画家の名前を調べることもできなくて、絵葉書を買って帰るのが精一杯でした。
画家の名前は、リチャード・ダッド
時が経ち、ネットが普及した頃にその画家を調べてみました。
リチャード・ダッド。19世紀イギリスの画家です。
そして知った事実に、言葉を失いました。
彼はある旅行中に精神に異常をきたし、「自分はエジプトの神オシリスの使者だ」という妄想が激しくなっていった。そして1843年、父親と公園を散歩中に父を刺殺し、その後精神病院に収容されました。
この絵はリチャード・ダッドがお父さんを殺害した後、精神病院で描いてた絵だったのです。これを知った時、ああやっぱりあの衝撃は私の深いところが打たれたんだなと思いました。精霊や妖精も普遍的無意識に存在するものです。
その事実を知ったとき、20代の私がテート・ギャラリーで感じた「ざわっ」の正体が、ようやくわかった気がしました。

なぜこの絵は、私の深いところを揺らしたのか
ユングはこんな言葉を残しています。芸術作品には「心理的」なものと「幻視的」なものの2種類があると。
この2種の創作を区別するために、一方を心理的と呼び、他方を幻視的と呼ぶことにする。p61
・・・幻視的な作品は・・・既知のものではなく・・あたかも人類以前の太古の深みから、あるいは人間の力と理解力ではとても把えられず、圧倒されてしまうような原体験なのである。・・永遠のカオスの恐怖を駆り立てるような撹乱であり、ニーチェとともに言えば、「人間の尊厳を冒す罪」である。p64
創造する無意識 C,G,ユング 平凡社
幻視的な作品とは、既知のものではなく、人類以前の太古の深みから湧き出たような体験——圧倒的で、人間の理解をはるかに超えた何かを宿している作品のことです。
リチャード・ダッドの絵は、まさにそれだったのだと思います。
妖精や精霊は、人類が古来から共通して持っているイメージです。神話、昔話、宗教儀礼、魔女や悪魔の物語……文化や時代を超えて、人類の心の奥底に眠っているもの。ユングはこれを「普遍的無意識」と呼びました。リチャード・ダッドは精神を病む中で、その普遍的無意識の深い層にまで降りていってしまった。そこで見たものを、そのまま絵に描いた。だから見る者の心の奥底にある同じ層が、共鳴して揺れる。20代の私が「吸い寄せられた」のは、きっとそういうことだったんだと思います。
無意識には、二つの層がある
ユング心理学では、無意識を二つに分けて考えます。
ひとつは個人的無意識。自分が経験してきたこと、忘れてしまったけれど心の奥に保管されている記憶や感情です。過去の傷、抑圧してきた怒り、気づかないうちに形成されたパターン。これらは個人的無意識の中に眠っています。
私が夢分析を受けていると、過去の友人や昔の出来事がよく夢に出てきます。すっかり忘れていたはずのことが、実は無意識の中でずっと生きていた。そういう体験を何度もしてきました。
もうひとつは普遍的無意識(集合的無意識)。個人を超えた、人類共通の心の層です。神話、宗教、昔話、妖精や妖怪の物語。文化や時代が違っても、人間が共通して持っているイメージの源がここにあります。
ユングがこの概念に辿り着いたのは、精神を患った人の妄想の内容が、世界各地の神話や伝説と驚くほど似ていることに気づいたからでした。個人が学んだはずのない神話的なイメージが、無意識から湧き出てくる。それはつまり、人類が共通して持っている深い記憶層があるということです。
普遍的無意識が「出すぎる」と何が起きるか
ただ、この普遍的無意識があふれ出すぎると、現実生活が営めなくなります。
リチャード・ダッドがまさにそうでした。普遍的無意識の深い層に触れた体験が、そのまま現実に侵食してきた。妖精の世界と現実の境界が消えてしまった。
だから私たちには「自我」が必要です。現実を認識し、行動を決め、自分を守る意識の機能。車が来たら避ける、お腹が空いたら食事をする、という日常の判断を担っているのが自我です。
自我と無意識が二つ相補的に動く
自我の働きは河合先生の本から抜粋します。
自我はいろいろなはたらきをしている。まず外界の知覚・・内界の認知・・・自ら意思決定をなすことができる。・・・自我はそこで自分の統合性を保持するために自分自身を防衛する機能ももたねばならない。
無意識の構造 河合隼雄 中公新書
お腹が空いたらご飯を食べるとか、車がきたら避けるとか・・・とういう肉体を安全に動かそうとする力でもあると思います。
自分の人生を動かしているのは、無意識でもありますが、でもその無意識だけになったら無意識の圧倒的な情報に押し流されて現実を生きていけませんね。ユングは意識と無意識は「補償的」でお互い補い合って一つの全体をつくると言っています。(自我と無意識より)ユングは東洋思想も研究されているので、私はここでこの図形、太極図を思い出します。

陰陽の関係は途切れることはありません。陽極めれば陰となり、陰極めれば陽となるという言葉があるように、このエネルギーは極まると逆の位相に向かいます。
夢は、無意識からのメッセージ
夢を見るのは、眠りという「陰」の時間です。日中の意識(陽)が引っ込み、無意識(陰)が動き始める。夢はそのとき、無意識が私たちに送ってくるメッセージです。個人的無意識から来るものもあれば、もっと深い普遍的無意識の層から来るものもある。
私が夢分析を続けてきてつくづく感じるのは、夢と向き合えば向き合うほど、現実にも不思議な共時性(シンクロニシティ)が起きてくるということです。見える世界と見えない世界は、結局つながっている。
あの20代の日、テート・ギャラリーで一枚の絵に吸い寄せられた体験は、私の人生の中でずっと不思議な記憶でした。リチャード・ダッドの絵を通して、普遍的無意識という深い海の存在を、頭ではなく体で感じた最初の瞬間だったのかもしれません。
夢解きセッションについて
夢は毎晩、あなたの無意識から届くメッセージです。個人的な記憶や感情だけでなく、もっと深い層から来るものもある。その声に耳を澄ますことが、自分の本当の姿を知ることへの近道になります。
夢解きと占星術を組み合わせたセッションについては、こちらからどうぞ。


私が指導を受けている今井先生のHPです


